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筋トレの必要性2013/04/24 21:30

 気がつけば、前回の更新から一ヶ月以上経っていました。

 最近何かと忙しくなっており、ちょっとブログの更新をさぼりぎみです。もちろん、居合の稽古は今まで通りに行っているのですが…。

 しばらく、ブログの更新が滞りますが御容赦下さい。


 近頃、今さらながら筋トレの必要性を感じています。筋トレと言っても筋力を鍛えるトレーニングではなくて、筋肉を柔らかく自由に動かす為のトレーニングですが…。

 必要な筋肉だけを、必要最小限な力で動かし最大限の効果を生み出す。必要の無い筋肉は、動くために必要とされる筋肉の動きを邪魔しないように柔らかく自由に置いておく。

 それが武術的な身体というものではないか、と思うのです。

 自分は昔からかなりの痩型で、筋肉が付きにくい体質なのですが、筋力が無い者が力のある者に対抗するには、身体の使い方を工夫するしか無いですものね。



明日は・・・2013/03/19 22:07

 明日は北九州居合道大会ですね。

 参加される剣士の皆さんの御健闘をお祈りしております。

記録と記憶2013/03/05 23:23

 道場での稽古において、先生方から様々な御指導や御指摘を頂きます。

 その都度、懐からノートを取り出して内容を細かく記録されている方もおられるのですが、自分は稽古での指摘事項をノートに書き留める事はしていません。

 書いてしまうと書いた事に満足し、記憶に残らない様な気がするからです。

 御指導頂いたことはその場で記憶し、常に意識しながら稽古します。

 大切なのは指導内容を如何に理解し、自分の身体の中に取り込むかということであると思います。

 忘れ無い様に記録しておくことも重要かも知れませんが、忘れてしまうということは、その事に意識が向いていないことの表れであるとも思われます。(指導されたことが完璧に出来るようになって忘れてしまうのなら良いのですが)

 ただし、業の理合いや伝承についてのお話は、自宅に帰ってから書き留める様にしています。

 それは、業の理合いや伝承については、何時、誰から聞いたかという事が、いづれ重要になる日が来ると思われるからです。

 先人から伝えられた技は、そのまま次世代に繋げていかなければなりません。

 記録すべき事柄と記憶すべき事柄、いずれも大事な事だと思いますが、きちんと分けて考える必要があると思います。

剣の道の意義2013/02/11 23:01

 雑誌「みんなの居合道」中「優勝者の心技」という記事において、静岡の山崎正博範士による「剣の道の意義」についてのお言葉が紹介されていました。

 特に自分の心に止まった内容でしたので、少々長くなりますが引用させて頂きたいと思います。

「刀をそのまま外に持ち出して歩くことすらできない現代において、刀は『殺気を感じ人をきる武器』であるとその時代の思想で考えるべきものではありません。まして居合道を『敵の殺気を感じながら…などという殺伐な刀術』だなどと、時代錯誤に陥らないような対話が大切ですし、また居合道を格闘技・護身術と考えるべきものでもありません。居合道の稽古は当然ながら趣味とはいえ、価値観の違いもありますが技術を手段として修練し、目的は、あくまでも精神性を高揚さしめていくことです。それは、全剣連で昭和50年3月に制定された『剣道の理念』の趣旨を尊厳すれば(至難のことながら人間の極意でもあり、また和でもある人間形成と説き)とある通りです。ゆえに技のみを重点に指導することは本末転倒になりやすくなっていきます。このような危惧すべき問題を今後の大きな課題として考察すべきことであります。
その旨十分考慮していった上での、更なる努力の積み重ねが、昇段ならびに試合等にもつながって、心身ともに強くなっていきますし、やがてその二極を遵守する人間性こそ。社会や人のために生かしていきたいという心をもたらします。居合道は、明治初期の廃刀令と共に明治維新を期に「術から道に昇華」した武道です。ですからそのような不変の精神文化を学ぶことが居合道において最も大切な『人生の物語』であり、また『生き様』であると考えます。」
以上、「みんなの居合道BOOK 2013 P10より引用


 現在の時代において居合を学ぶ理由は各人其々ありましょうが、何が正しく何が間違っている、というものでは無いと思います。

 ただ、「自分が何の為に居合をまなぶのか」、その軸はしっかりと持っておく必要があると考えます。

体軸を意識した稽古2013/02/01 21:01

 今年の目標の2つ目です。

 自分の体軸のズレが気になったのは、新しい靴を履いて歩いた時に左右の足音が異なる事に気付いた事からでした。

 その靴は、靴底の材質の為かタイル貼りの様な廊下を歩くと意外と大きな音がして、右足で地面を蹴る時は「チャッ」という短く小さい音なのですが、左足を蹴るときは「チャリッ」という、何か物を押し付けた後ひねりながら滑らしている様な音がするのです。(説明が下手ですね。分かりにくくてスミマセン)

 新しい靴の所為かと思い古い靴で試してみると、意識して聞かないと分らないくらい小さい音なのですが、やはり同じような傾向の足音でした。歩く場所を変えて試してみても、それは変わりませんでした。

 で、考えたのが「この足音の差は、歩いている時、身体の左右のバランスに差があるからではないのか」という事でした。

 実際に鏡で確認したり意識して自分の身体の状態を観察してみると、やはり自分では真直ぐに立っているつもりでもやや上体が右に傾いていたり、腰から股関節にかけた辺で身体の左側の方が筋肉の凝りが酷くなっている事に気付きました。おそらく、そんな身体のクセが歩くときに現れているのだと思います。

 普段の生活でまっすぐ立てていない状態でいくら稽古をしても、正しい居合が出来る訳がありません。

 今年2つ目の目標「体軸を意識した稽古」というのは、道場での稽古で体軸を意識する、という意味だけではありません。

 普段の生活の中でも身体に意識を向け、正しい軸を意識しながら行動する。すなわちそれが稽古となる。

 そのような気持ちで目標として上げた次第です。