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呼吸を意識した稽古 ― 2013/01/21 22:39
今年の目標のひとつに『呼吸を意識した稽古』を上げました。
呼吸については解説書の補足にて「各技を一呼吸で終えることが望ましい」と記されています。
が、自分はどうしても息が続かず、一動作毎に一呼吸が必要な感じなのです。
これはかねてから感じていた事なので、息継ぎの仕方が下手なのか、又は無駄な動きが多くて酸素を無駄に消費してしまっているのか、色々と悩んでいたのです。
最近、原因が解りました。
昨年、会社の健康診断で肺活量を計る機会があったのですが、自分の肺活量は3000ccしかありませんでした。検査担当の方の話では、自分の体格であれば少なくとも3800ccは必要との事でした。
呼吸の仕方とか質以前の問題で、根本的に空気の取入れ量が少なかったようです。
武術とか武道とか以前の問題ですね。
ネットで調べてみると、訓練によって肺活量を上げる事は可能なようです。
普段の生活の中で工夫をして肺活量のアップを図ると共に、居合の稽古においても呼吸を意識し、少ないながらも取り込んだ空気から酸素を効率良く吸収出来るような身体作りを目指したいと思います。
呼吸については解説書の補足にて「各技を一呼吸で終えることが望ましい」と記されています。
が、自分はどうしても息が続かず、一動作毎に一呼吸が必要な感じなのです。
これはかねてから感じていた事なので、息継ぎの仕方が下手なのか、又は無駄な動きが多くて酸素を無駄に消費してしまっているのか、色々と悩んでいたのです。
最近、原因が解りました。
昨年、会社の健康診断で肺活量を計る機会があったのですが、自分の肺活量は3000ccしかありませんでした。検査担当の方の話では、自分の体格であれば少なくとも3800ccは必要との事でした。
呼吸の仕方とか質以前の問題で、根本的に空気の取入れ量が少なかったようです。
武術とか武道とか以前の問題ですね。
ネットで調べてみると、訓練によって肺活量を上げる事は可能なようです。
普段の生活の中で工夫をして肺活量のアップを図ると共に、居合の稽古においても呼吸を意識し、少ないながらも取り込んだ空気から酸素を効率良く吸収出来るような身体作りを目指したいと思います。
今年の目標 ― 2013/01/14 15:53
ふと気付けば1月ももう半分が過ぎようとしています。
年末年始とバタバタとしていてブログの更新が出来ませんでしたが、そろそろ平常運行に戻りたいと思います。
【今年の目標】
・呼吸を意識した稽古
・体軸を意識した稽古
・流れを意識した稽古
ただ、ダラダラと数を抜くだけの稽古ではなく、「何を稽古しているのか」を意識した稽古を心がけたいと思います。
年末年始とバタバタとしていてブログの更新が出来ませんでしたが、そろそろ平常運行に戻りたいと思います。
【今年の目標】
・呼吸を意識した稽古
・体軸を意識した稽古
・流れを意識した稽古
ただ、ダラダラと数を抜くだけの稽古ではなく、「何を稽古しているのか」を意識した稽古を心がけたいと思います。
第54回 大阪居合道大会 ― 2012/12/02 19:59
2012年の大阪居合道大会、終わってみれば今まで参加させて頂いた大会の中で最低の出来の演武でした。
演武の内容も酷いものでしたが、それ以上に自分の人間としての 成長の無さを思い知るものでした。
確かに朝モチベーションが下がる出来事があったのですが、それを引き摺っては駄目でしょう。
そんな心の弱さ、囚われを払拭する為に居合を始めたのではないか。
結局、形の稽古にとらわれて、心は昔のまま何の進歩もしていない様です。
よし、心機一転、来年からは頑張ろう。
演武の内容も酷いものでしたが、それ以上に自分の人間としての 成長の無さを思い知るものでした。
確かに朝モチベーションが下がる出来事があったのですが、それを引き摺っては駄目でしょう。
そんな心の弱さ、囚われを払拭する為に居合を始めたのではないか。
結局、形の稽古にとらわれて、心は昔のまま何の進歩もしていない様です。
よし、心機一転、来年からは頑張ろう。
締め括り ― 2012/12/01 09:14
いよいよ明日は一年の締め括り、大阪i居合道大会ですね。
悔いの残らない演武が出来るよう心を引き締めて臨みましょう。
悔いの残らない演武が出来るよう心を引き締めて臨みましょう。
武道と人間形成 ― 2012/10/31 22:28
少し前に剣道・柔道又は居合道等の武道に関わった人間の不祥事・事件が続き、武道における人間形成と言う物に不信の声が上がっていました。
武道をすれば人間形成が出来る物なのでしょうか。
又、武道とスポーツではそれが異なるのでしょうか。
私個人の考えですが、
武道と人間形成は何の関わりも無く、
そういった意味では武道とスポーツに違いは無い、
と思っています。
しかしこれは「武道では人間形成が出来ない」と言っているのではありません。
「人としてどう生きるか」と言うテーマを自らに持つ者にとって武道は、十分その役に立つ物であると思っています。
そして、そのテーマを持っている限り、武道であろうがスポーツであろうが、又は勉強でも、芸術でも何でも同じ効果を得られるであろうと思います。
要は、武道が人間形成を行うのではなく、人間形成を望む者にとって道は無限にあり武道もその一つになり得ると考えるのです。
求める者には示されるが、求めない者にはそんな物がある事さえ気付かない世界とでも言えるでしょうか。
(もちろんこれは、人間形成を求めるから偉いとか、求めないから間違っている、ということではありません)
「道」とは「人としてどう生きるか」を求める為に生まれてきたものだと思うのですが、最近、他人との優劣にばかり目が行く風潮がある様な気がして、ちょっと気になるのです。
武道をすれば人間形成が出来る物なのでしょうか。
又、武道とスポーツではそれが異なるのでしょうか。
私個人の考えですが、
武道と人間形成は何の関わりも無く、
そういった意味では武道とスポーツに違いは無い、
と思っています。
しかしこれは「武道では人間形成が出来ない」と言っているのではありません。
「人としてどう生きるか」と言うテーマを自らに持つ者にとって武道は、十分その役に立つ物であると思っています。
そして、そのテーマを持っている限り、武道であろうがスポーツであろうが、又は勉強でも、芸術でも何でも同じ効果を得られるであろうと思います。
要は、武道が人間形成を行うのではなく、人間形成を望む者にとって道は無限にあり武道もその一つになり得ると考えるのです。
求める者には示されるが、求めない者にはそんな物がある事さえ気付かない世界とでも言えるでしょうか。
(もちろんこれは、人間形成を求めるから偉いとか、求めないから間違っている、ということではありません)
「道」とは「人としてどう生きるか」を求める為に生まれてきたものだと思うのですが、最近、他人との優劣にばかり目が行く風潮がある様な気がして、ちょっと気になるのです。
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